tizen.moe

tizen.moe

真・鮫島事件

samejimajiken-movie.com
予算が少なかったのか、CM見た記憶も無いのですが
樹海村で検索したら出てきたので。。*1

何か、番宣でZOOMを使った似たような映画が出てきて
screenonline.jp
微妙な気分になるという事があったような。。

冒頭から滅茶怖がらせるしほぼノンストップで「これ絶対出てくるやろ」なシーンばっかりで休む暇が無いんですが(取りあえず怖ければいいならそれでいいという考え方もありますけど)

*1:いつも行く映画館でやってなかったので苦労した

続きを読む

蒼穹のファフナー THE BEYOND 第七話、第八話、第九話

fafner-beyond.jp
ガラガラのレイトショーを見たくなってしまったので。。

あんまり期待してなかったのですが面白かったです。ここまでついてきてる人どんだけいるのか疑問な程㌧でってますけど。。

機体が進化するのはロボットアニメの醍醐味ですよね。あとOPが変わるのも、、、

サイレント・トーキョー

silent-tokyo.com
最初の流れで予想した結末のうちの幾つかの1つの範疇を超えはしなかったけれど爆発にはこだわりを感じました。冒頭のあのシーンをどう受け取るべきかは何とも言えないけれど。。

最後に出てきた一文が現実に対するメタファーだとすると随分チープなメッセージだなと思いましたが

原作を読むと少なくとも作者が表面上表現しているのは違うような。社会に対する風刺として潜ませたメッセージは同じなのかも知れないけれど。原作の表現には品があるけど、映画の表現は何というかやっぱりチープな感じがしてしまいますけど。。

幻想水滸伝 25th Anniversary Symphonic Concert

jagmo.jp
改めて考えると幻想水滸伝ってまともにやったのは1だけで20年以上前にやったっきりなのですが、全然知らないのに行く気にはならないのでと思って買っていた(らしい)チケットがありまして(発券してなかったけど)。コロナ感染拡大でどうよという気がしたんですが、7700円とかしたのを捨てるのは・・・と。
結果的に1/3位しか入ってなかったのと往復の電車も空いてたのと、何よりここ暫くずっとPCかスマホで聞いてたのに比べて生の楽器演奏はやっぱり違うもんだなと。ライブ配信も決して悪くないんですけど、目の前で引いてる人がいて表情まで見えるのは生だけですよね、やっぱり。。観客が少ないのは演奏者の方に申し訳ないと思わなくもなかったですが、そんな状況でも楽しそうに入り込んで演奏されてた様に見えたのが印象的でした。

問題は1/3しか入ってないのでは採算が取れないんじゃないかという所ですが、、、オンライン同時配信もきちんとした音で配信しようと思うと配信設備に結構金が掛かるし、アーカイブで追っかけ配信させようと思うとストレージに溜める費用とか回線使用料とか結構いろいろ考えることありそうで大変っぽく。僻地のデータセンターとかに音響設備を整えたらビジネスになりそうですけど、多分それだけでは足りないですよね。。。追加でチャリンチャリンできるもう1アイデアほしい。。

Windows10 64bit最近のやつで未署名ドライバをインストールしたかった

4thsight.xyz

管理者権限でコマンド開いて

bcdedit /set TESTSIGNING ON

設定モードで回復オプション→スタートアップ設定→再起動→「ドライバー署名の強制を無効にする」・・・反応が遅くて不安になる→再起動→起動

インストール出来る状態になった(Pasoriの古いのしか持ってなくて未署名ドライバしか使えないPasoriだった - RS-320)

古いドライバさえ入れれば原稿のEdy Viewerで普通に使えるんですが、署名済みドライバをSONYさんが用意してくれないから普通は使えない、と。。*1

bcdedit /set TESTSIGNING OFF

オフって再起動するのを忘れずに。。

*1:何らか名言されない事情があるのでしょうけど

映画:魔女見習いをさがして

www.lookingfor-magical-doremi.com

鬼滅の無限列車編も見たかったのはそうなんですが、混んでるし暫くロングランしてると思うので後回しにしてやはり見ておかないといけないだろうと魔女見習いを見てきました。

そもそも現役として見ていて大人になった女性に向けて作っている感があるので、アラフォーおっさんが自分自身として見て必ずしも共感するかと言われると、まあ、無理がある部分はないとは言えないのですが*1 ともあれ、対象年齢ではなくてもリアルタイムに見ていた立場として素直に楽しめる部分も多々あったのは間違いないんじゃないかと。

どれみキャラのオマージュとして各個性を混ぜて抽出して分け直した感じの主人公3人がそれなりにリアルな悩みにぶつかって、その問題に対して魔法に頼るわけではなく奇跡を呼び寄せるような表現の仕方をしているのかな、と感じました。魔法を唱えるときに「~して」「~になって」と頼ってはいなくて、「~がしたい」とか「~言いたい」とか希望を口にするという感じ。もともとの原作のどれみでも魔法を欲した理由は魔法がなくても自分たちで解決できると描かれていたので、現役で見ていた今作の主人公にもそれは伝わっていたということ、、、なん、です、かね。。。?*2

現実であるという前提に立って率直に見るとトントン拍子に話がいい方に流れすぎじゃね?とか現実はこんなに甘くないだろ、とか、尺の都合もあるのだろうけどテンポよく話が流れて余分な所は一切入れなかったと言う感じでもあるのですが、20周年を気持ちよく祝ってもらうにはこういうののほうが良かったんでしょうねぇ、たぶん。(間違っても欲を出していろいろな伏線を張ったり、別の(どれみ達自体の)展開を期待させるような思わせぶりな流れを入れてしまうとこういうスッキリした余韻は残らなかったでしょうから、、、

キャストの人たちの中にはどれみ16~18(あれ、20?)の話を映像化したいという話もありましたが、果たして、、、?

*1:そもそも共感力ないのですが、それは別の話だ。。

*2:そもそもどれみを見ていた生身の人間という前提なので魔法を使うというのは行動を起こす前提の示威行為に対するメタファでしかないのかもしれないわけですが。。